エル パイスのサイト

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    http://elpais.com

    私のiPhoneやiPadには、スペインで発行されている代表的な日刊紙である「El Pais(エル・パイス)」紙のサイトを画面上に貼り付けています。

    私のスペイン語能力ではとうてい読み切れないのですが、スペインのメディアがネットニュースでどんな記事を、どのように扱っているのかは、伺い知ることはできるのです。

    みなさん、日本の新聞は、ある意味「ガラパゴス」化していますよ。外国メディアと比較してみるとよく分かります。
    carmen-kobe * スペイン文化 * 12:34 * comments(0) * trackbacks(0) * -

    プロテスタントとカトリック

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      NHK大河ドラマの話です。
      二年続けてキリスト教が大きくかかわっています。

      去年は「八重の桜」。幕末にアメリカに渡った新島襄はプロテスタントの洗礼を受け、帰国後、明治期の日本に広めようと人生を捧げます。そして同志社をつくったのです。

      今年の「軍師官兵衛」では南蛮からやってきたカトリックの司教たちが登場します。安土桃山時代には多くの日本人も洗礼を受けクリスチャンになっています。昨日も高山右近が重要な役回りを演じていたのです。

      私は小学校でカトリック(フランシスコ修道会)の教育を受け、大学は新島襄の創立した大学で学んだので、キリスト教は身近にある宗教なのです。

      carmen-kobe * スペイン文化 * 12:36 * comments(0) * trackbacks(0) * -

      池澤夏樹が推薦するガルシア・マルケスの短編を読む

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        4月21日(月)付けの読売新聞に掲載された池澤夏樹の「追悼 ガルシア・マルケス」の文章を読んでいると、その最後に刺激的な表現があった。

        「『族長の秋』はすごい。『コレラの時代の愛』はすばらしい。中篇ならば「わが悲しき娼婦たちの思い出」、短篇なら「無垢なエレンディアと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」を人は読むべきだ。」

        「…を人は読むべきだ。」といった扇情的でかつ力強い言辞は書きたくてもなかなか書けるものではない。よほどのことだろうとさっそく『エレンディア』(ちくま文庫)を買い、「無垢なエレンディアと無情な祖母の信じがたい悲惨な物語」を読んだ。

        まず感心したのは、淀みない訳。けっして直訳的でもなく、訳語のごつごつ感がない。読んでいるうちに、いつのまにか日本文学として読んでいる自分に気づいた(もちろん出てくる光景や人物は南米の外国のものであるが)。

        わたしがかくも感心したのは、少し前、英語から日本語に翻訳する現場に少しだけ関わったことで、翻訳の難しさを私なりに感じていたからである。

        訳者をみると、鼓直氏。なんと、われらの偉大なる友人ではないか! さすがである。この短篇はすでに立派な日本語文学になっている。翻訳というのは、やはり訳者の母国語の深度が問われていることが良く分かった。翻訳文学かくあるべし、との好例として一気に読んだのである。

        内容は「はい、お祖母ちゃん」と恭順を貫く少女エレンディアが、人生の荒波にもまれるうちに、最後はお祖母ちゃんに
        しっぺ返しをたくらむのである。さてその結果は……
        carmen-kobe * スペイン文化 * 12:40 * comments(0) * trackbacks(0) * -

        ガルシア・マルケス死す

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          世界の文学に大きな影響を与えたコロンビア出身の小説家ガルシア・マルケスが17日(木)に亡くなりました。享年87。

          1967年に出版した「百年の孤独」で注目されました。日本語訳は鼓直氏。1972年に新潮社から訳書が出ています。このあたりから日本でもラテンアメリカ文学ブームが起きたのです。

          翻訳者の鼓氏、カルメンの常連さんです。かつて神戸外国語大学のスペイン語学科が誕生した時の教官であり、後に法政大学に移られましたが、いまは再び神戸にお住まいです。

          毎年八月の第三土曜日に開催いたします「ロルカ詩祭」に朗読者として出演。毎年ロルカ作品の新訳をひっさげて参加してくれます。

          スペイン語で書かれた文学が世界の文学に大きな影響を与えたばかりでなく、その超現実的な手法で書かれた作品は、文学に向かうひとびとの意識までも変えていったのです。
          carmen-kobe * スペイン文化 * 13:32 * comments(0) * trackbacks(0) * -

          スペインの聖書翻訳史

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            その内容の濃さに驚きました。
            某キリスト教系教団の冊子をなにげなくみていると、巻末に「中世のスペインで神の言葉を広める」といったタイトルの文章が載っています


            内容はスペインにおける聖書の翻訳史であり、かなり詳しく調べていて、図版も貴重なものが紹介されているのです(執筆者名は書かれていませんが専門分野に詳しいひとであると思われます)。

            スペインの聖書翻訳史は、そのままスペインの歴史が反映していることが分かります。それを箇条書きにしてまとめてみることにしましょう。

            (1)ローマ帝国の領土であったスペインでラテン語の聖書が出現したのが、西暦5世紀。パレスチナで聖書をラテン語に翻訳したのはヒエロニムスという人物ですが、スペインの裕福な聖書研究者だったルシニウスが、写学生をパレスチナに派遣して、ラテン語訳をスペインに持ち帰ります。スペインにはそれ以前に「ウェトゥス・ラティナ・ヒスパナ」と呼ばれるラテン語訳の聖書が作られていましたが、次第にこのルシニウスが関わった聖書が普及することになります。

            (2)5世紀になるとゴート族やゲルマン民族がイベリア半島に侵攻。そうしたゲルマン系のひとたちは、アリウス主義という宗派(三位一体を退ける)のキリスト教を信仰していて、ウルフィラスのゴート語訳聖書を使っており、その訳書もスペインにもたらされたのです。

            (3)この当時(6〜7世紀)のひとびとは、石板に聖書の言葉を記していました。西ゴート語で書かれるものが残っていて、これらの言語とラテン語の方言がミックスして、スペイン各地に継承されているロマンス語になっていくのです(カタラン語、バレンシア語、バスク語による翻訳聖書も作られています)。

            (4)8世紀になると、スペインは南のアフリカ大陸からイスラム教徒の侵攻を受けます。これによってアラビア語訳の聖書が数多く流布することになります。セビリアのファンという司教がラテン語からアラビア語に翻訳したと伝わっていますが、残念ながらそうした訳書は現存していないそうです。

            (5)中世の後期になってカスティージャ語、つまりスペイン語がイベリア半島のひとびとの間に普及することになり、スペイン語語訳の聖書が出回ります。しかし教会は1234年のタラゴナ教会会議で現地語の聖書を焚書したのです。それでもアルフォンソ王(1252-1284)はスペイン語による翻訳事業を支援するのです。

            (6)アルフォンソ聖書は、ラテン語からの翻訳であったために、14世紀になるとユダヤ人学者がヘブライ語から直接スペイン語に翻訳を始めるのです。当時のスペインには世界最大のユダヤ人社会があり、ユダヤ教の学者も多く住んでいて、アラビア語とラテン語、ヘブライ語の研究といった幅広い言語が語られていたのです。その結実として15世紀に完成した生粋のスペイン語に翻訳されたアルバ聖書です。

            (7)こうしたスペイン語訳の完成と普及によってスペインのひとびとは、ドイツや英国人よりも詳しく聖書のことを知っていた、と言われています。しかしレコンキスタが状況を一変させます。キリスト教側がイベリア半島においてすこしずつ領土回復をしていくと、異端審問が盛んとなり、いかなる現地語による翻訳も所有も禁じることになるのです。それから3世紀の間停滞の時代となりますが、そうした時代でも新しいスペイン語訳を携えて密かにスペインに持ち込む人もいたそうです。

            (スペインは半島という地政学的位置ゆえに侵攻してきた民族がそれぞれの言語を、携えてきました。聖書はそれぞれの言語でつくられたのです。やがてカスティージャ語(スペイン語)でも聖書は出来ますがそれはユダヤ人学者の協力があってこその民族と宗教を超えた協働作業だっのです)。
            carmen-kobe * スペイン文化 * 13:08 * comments(0) * trackbacks(0) * -

            プラド美術館でみたもの

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              スペイン人スタッフのA君としゃべっていたのは、プラド美術館に展示されていたひとつの彫像についてです。

              いまは展示されているかどうかわかりませんが、わたしが訪れた1970年代には、ベラスケスの名画「宮廷の侍女たち」のまえに、横たわるひとつの彫像があり、それはアンドロギュノス像(両性具有)だったのです。

              A君に「スペイン語ではなんていうの?」と聞くと、〈Hermafrodita〉と教えてくれたのです。
              carmen-kobe * スペイン文化 * 13:02 * comments(0) * trackbacks(0) * -

              屈指のギタリスト・鈴木一郎氏と出会う

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                スペインでギターといえば、フラメンコを思い描く人が多いが、この国はクラシック・ギターの伝統も息づいている。

                昨夜の神戸日西協会の総会で、クラシック・ギターの奏者として著名な鈴木一郎氏と面識を得た。

                なんでもアンドレス・セコビアに学び、永い間、バルセロナで活躍していたのを、2007年から出身地の神戸に戻って活躍されているとか。

                いずれカルメンでも、ミニコンサートを企画したいものです。

                佳き出会いでした。
                carmen-kobe * スペイン文化 * 09:23 * comments(0) * trackbacks(0) * -

                第16回ロルカ詩祭への誘い

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                  第16回ロルカ詩祭のこと(8月17日(土)開催)

                      =======第16回ロルカ詩祭のご案内=======

                  〈スペインを代表する詩人の一人であるフェデリコ・ガルシア・ロルカの生誕100年にあたる1998年から始まった「ロルカ詩祭」。会場は、神戸・三宮にあるスペイン料理カルメン。今年もロルカが殺された8月19日に近い土曜日に開催します(17日)。この詩祭は、第一部がスペイン語と日本語によるロルカ作品の朗読、第二部は詩人たちのロルカ的世界に身を委ねた自作詩の朗読で構成されています。神戸でこの詩祭が行われるのは、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の追悼の意味を込めていることはもちろんのこととして、2011年の東日本大震災の犠牲者に対する鎮魂の意味も加わりました。またこれまで詩祭に参加した人のなかで清水昶氏のように物故した詩人に対する追悼の意味も込められています〉

                   〈 詩祭スケジュール 〉
                  日時/8月17日(土)午後5時 開場
                   [1部]PM5:30〜PM6:00
                    ロルカ詩(スペイン語、日本語)の朗読
                   [2部]PM6:15〜PM8:30
                    詩人たちのロルカ的世界に委ねた自作詩朗読
                  ★場所・問い合わせ・申し込み先
                  /スペイン料理カルメン(神戸市中央区北長狭通1-7-1 〒650-0012
                      電話078・331・2228
                      JR・阪急・阪神・地下鉄「三宮駅」から徒歩三分。
                  ★料金/A:3600円(チャージ込み)(1)夏の特選スープ(2)季節のサラダ(3)肉か魚のメインを選択(4)パエリア(5)コーヒー(6)デザート
                     B:2000円(チャージ込み)(1)ワンドリンク(2)タパス盛り合わせオードブル
                  《特典》当日参加者の方全員に、第二部参加の詩人たちが朗読する詩作品掲載の『八月一九日詩集・vol.16』をもれなく進呈します。

                  ★出演者/ゲスト・禿 慶子
                   (五十音順)安西佐有理、上野 都、大西隆志、大橋愛由等、今野和代、情野千里、千田草介、高谷和幸、中堂けいこ、 にしもとめぐみ、鼓直、寺岡良信、tobi
                  、富 哲世、 福田知子

                  ------(禿 慶子略歴/詩誌「山脈」「風」同人及、「玄鳥」主宰を経て現在無所属。「日本現代詩人会」 「日本詩人クラブ」「横浜詩人会」、
                  「日本文芸協会」会員。
                  詩集/『彼岸人(あのひと)』(第14回横浜詩人会賞受賞)、『ジオラマ』『我が王国から』等。2003年〜2006年、横浜詩人会会長。)

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                  ★詩祭へのいざない
                     ロルカを謳う。コトバがさやぐ。        福田知子

                    どこの国でも 死はひとつの終わり
                    死が来て幕はとざされる
                    だがスペインではちがう
                    スペインでは幕が
                    ひらかれるのだ
                          (フェデリコ・ガルシア・ロルカ)

                   スペイン・グラナダの詩人、フェデリコ・ガルシア・ロルカ。彼自身、自らの早すぎる〈死〉を予期していたかどうかは解らない。しかし、彼の詩のその多くは死を追悼するものである。ロルカは死をもって、永遠に私たちの胸にその名を刻印した。グラナダとはスペイン語で〈柘榴〉という意味である。レコンキスタ時代、柘榴の実のように、堅牢でなかなか陥落しなかったイスラム教徒の街??彼はそのグラナダのひなびた小さな村フエンテ・ヴァケーロスで生を受けたのだ。
                   1936年8月19日、スペイン内乱のさなか、フランコ将軍率いるファランヘ党によって、ロルカはグラナダ郊外のビズナルViznarで銃殺された。自ら墓穴を掘らされて。
                  「血の婚礼」や「イエルマ」などの上演で名声を得たロルカ。アメリカ、キューバ、アルゼンチンを訪問したロルカ。ジャン・コクトーやサルバドール・ダリと交友があったロルカ。彼は思想的にはリベラリストで、政治的には大きな活動はなかったとされる。彼の暗殺はファランヘ党が同性愛者を忌み嫌うことに因むとの説もあるが、明らかではない。フランコ政権時代、ロルカの著書は発禁となり、フランコの死によって独裁政権が終わりを告げ、それからようやくロルカについて自由に論じることができるようになった。
                   ロルカが銃殺されたとされるグラナダ近郊は、現在「ロルカ記念公園」になっている。ロルカと同時に銃殺された5人の遺族から、遺骨発掘の要望が出され、2009年10月から公園内数箇所の発掘作業が行われた。ロルカの遺族は見世物になることを恐れ、「このまま静かに眠らせて欲しい…」と反対したという。同年12月、公園内では遺骨らしきものは一切発掘されなかったとの結論が出された。再び詩人の死は歴史の闇に謎のまま葬られたが、毎年、震災で多くの人びとを亡くしたこの地KOBEから、ロルカを謳い、コトバをさやぎ続けることを私たちは忘れないでいる。この夏も幕がひらかれるのだ。
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                  「現代詩手帖」8月号に開催されることが短く紹介される予定です。

                  carmen-kobe * スペイン文化 * 13:26 * comments(0) * trackbacks(0) * -

                  あきらめて

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                    月曜日に大阪に向かい、茶屋町のジュンク堂書店にはいったところ、スペイン関係の書籍が多く並んでいました。

                    興味深いいくつかのテーマの本があり、これから少しずつでもいいから、日本語によるスペイン関係の書籍を読んでいこうと思ったのです。
                    carmen-kobe * スペイン文化 * 12:40 * comments(0) * trackbacks(0) * -

                    マラガに50年ぶりの

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                      今年のヨーロッパは大寒波だそうで、スペイン南部アンダルシアのマラガにも、50年ぶりの雪が降り、町もうっすらと雪化粧したそうです。

                      50年前といえば、1963年。まだフランコが生きていた時代で、スペインは抑圧体制が続いているものの、外資の導入で高度成長を遂げていた時期です。
                      carmen-kobe * スペイン文化 * 20:20 * comments(0) * trackbacks(0) * -
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