グルーポ・ケイコ、今年最後の舞台です。
満席のお客さんのもと、今年一年の舞台の成果が結晶となって展開されます。
どんなに素質に恵まれている人でも、フラメンコは、タブラオの舞台の数が多くなければ、「レッスンプロ」になるのかもしれません。
カルメンに踊りに来るバイレたちは、舞台の数だけ成長していくような気がします。
本日のソレアも、あと何回か踊り込んだら、自分が出したいサパティアートの音と実際の音がぴったりあってくるでしょう。
また、フラメンコに必要なのは、懸命に踊ることだけではありません。「一生懸命に踊りすぎること」という評価もあるように思います。つまり、哀しい曲でも、哀しさを表現するだけではない、艶ややかさ、とか、妖艶さが踊りの中に加味されてもいいのではないでしようか。哀しさを表現する曲であっても、フラメンコは決して哀しさだけの「単景」ではないはずです。そこがこの芸能の奥深さではないでしようか。
カルメンで100回近くフラメンコの舞台を見ていると、さまざまなことを感じるようになるものです。