☆何年かぶりの東北です。
伊丹空港から一直線で仙台空港に向かいます。
フライト時間が東京・羽田とさして変らないといのも不思議です。
この前にこの都市に行ったのは、いとこが化粧品会社Sの仙台支店にいた時にその寮に転がり込んだのです。その時この街のどこを見たのか忘れてしまいました。
仙台空港到着後、仙台駅に行き、ホテルに荷物を預けます。
☆昼ご飯に、「冷やし中華」発祥の店にタクシーで向かいます。仙台が発祥の地だったのですね。味ですか、関西のしかも周辺に中華の料理が満ちている神戸から来ますと評価は厳しいものになりますが、元祖の味をただ継承するだけでなく、工夫を凝らしている後がうかがえるので敬意を評して「合格点以上」をさしあげたいと思います。ただそれはいいのですが、海老餃子をつけるタレにラー油を多くいれて同行者ににらまれまてしまいました。「繊細な味を楽しむ海老餃子にそんなたくさん入れて!」。
☆続いて仙台観光をしようと青葉城へ。ベロタクシー(人力タクシー)に乗ることにしました。運転手くんは地図をおもむろに拡げ、定規をあてて料金を伝えます。人肌感覚の乗り物です。このベロタクシーは関西にもありますが、地元の人間が乗るのには羞恥が先立ち抵抗があるので、いままで乗る機会はなかったのです。
☆ゆっくりと進み、運転者くんは、時々話しかけて会話を交わします。気持ちのいい時間でした。車内はすずやかな風が通り抜け、杜の都の名の通り巨樹の蔭がやさしく包みます。到着したあとは記念撮影を撮ってくれました。かたときでも化石燃料を使わない移動手段を使ったことに爽快感を感じたのです。
☆青葉城では、仙台名物の「ずんだ豆」を使った冷菓を食べたり、土井晩翠の碑をながめたりと遊覧の時を過ごしたのです。ゆったりまったりとした時間でした。人生にはこうした時空間が必要かもしれません。城の事務所になにやら大きなものがぶら下がっています。巨大なてるてる坊主です。同行者がおもしろがって写真を向けると、事務所の窓ガラスががらっと大きな音をたてて「これ、よく効くんですよ。必ず晴れになります」と声をかけてくれる。てるてる坊主をみつけた同行者の視点も鋭いものがありますが、旅の者に気軽に声をかけてくれるその仙台の女性の存在も嬉しくなってきます。
☆それにしてもこの仙台城は大きい。城としても都市としの格も大きいのに驚いたのです。仙台城は伊達藩の居城であり、その藩領は宮城県一県がすっぽり入り、さらに近隣県に飛び地もあるなど、外様大名にしては広大な土地を持っていたことを知りました。
(きっと宮城県は、島津だけで治めていた鹿児島県と同様に県・県民としての一体感があるのでしよう)。米どころを抱えた仙台藩は、税収入を米に依存していたので、不作になると税収を減らし、豊作になると余剰金が出るといった「米本位制」に頼り切った典型的な藩であったことが分かります。
☆ただ、こうした既存の税収入体制である米本位制を経済基軸にした手法は、幕藩体制ではそこそこに大藩として位置をしめることができたものの、幕末の激動期には、新しい時代への対応力がいまひとつだったようです。薩長を中心とした官軍が北上してきて、戊辰戦争に展開した時、仙台藩は東北列藩同盟の盟主としてまつりあげられますが、強硬派の会津藩にひきづられたり、同盟をまとめきれなかったり、分裂にひんしたりで、盟主の名に値する主導権を発揮したのかどうかは評価は別れるようです。
☆城からの帰りは神戸にもある巡回バスに乗ろうということになり満員のバスに乗り込みます。着いた先は、仙台メディアアークという建物。一階では、『帝国』を著したハートを招いたシンポジウムが開催されています(イタリア人のネグリは入国を拒否されている)。ここで筆者は打ち合わせを始めます。集合した人は北海道から東京、奄美、沖縄からとさまざまです。午後5時から始めた打ち合わせは、もうそのままで明日の準備以上の濃い内容が語られたのです。
☆打ち合わせを終えたわれわれは、なぜか沖縄料理店へ。波照間島出身の人の店に繰り出します。そこで大阪から参加した女性が三線をとりだして沖縄の唄を歌いだすと、一気に盛り上がりをみせ、いつものように呑めや歌えやの宴会。解散したのは午後1時すぎでしようか。筆者はホテルの部屋にもどって仮眠をして明日の準備のために資料整理や資料読みをしていたのです。